P--1281 P--1282 P--1283 #1唯信鈔 唯信鈔    安居院法印聖覚作 夫 生死を はなれ 仏道を ならむと おもはむに ふたつの みち あるへし ひとつには 聖道門  ふたつには 浄土門なり 聖道門と いふは この 娑婆世界に ありて 行を たて 功をつみて 今 生に 証を とらむと はけむなり いはゆる 真言を おこなふ ともからは 即身に 大覚のくらゐに  のほらむと おもひ 法華を つとむる たくひは 今生に 六根の証を えむと ねかふなり まことに  教の本意 しるへけれとも 末法にいたり 濁世に およひぬれは 現身に さとりを うること 億億の  人の中に 一人も ありかたし これに よりて いまの よに この門を つとむる人は 即身の証に  おいては みつから 退崛の こゝろを おこして あるいは はるかに 慈尊の下生を 期して 五十六 億 七千万歳の あかつきの そらを のそみ あるいは とおく 後仏の出世を まちて 多生曠劫  流転生死の よるのくもに まとえり あるいは わつかに 霊山 補陀落の 霊地を ねかひ  あるいは ふたゝひ 天上人間の 小報を のそむ 結縁 まことに たふとむ へけれとも 速証  すてに むなしきに にたり ねかふところ なほ これ 三界のうち のそむところ また 輪廻の報な P--1284 り なにの ゆへか そこはくの 行業慧解を めくらして この 小報を のそまむや まことに これ  大聖を さること とおきにより 理ふかく さとり すくなきか いたす ところか ふたつに 浄土門 と いふは 今生の行業を 廻向して 順次生に 浄土に むまれて 浄土にして 菩薩の行を 具足して  仏に ならむと 願するなり この門は 末代の 機に かなえり まことに たくみなりとす たゝし こ の門に また ふたつの すち わかれたり ひとつには 諸行往生 ふたつには 念仏往生なり 諸行往 生と いふは あるいは 父母に 孝養し あるいは 師長に 奉事し あるいは 五戒八戒を たもち  あるいは 布施忍辱を 行し 乃至 三蜜一乗の行を めくらして 浄土に 往生せむと ねかふなり  これ みな 往生を とけさるに あらす 一切の行は みな これ 浄土の行なるか ゆへに たゝ こ れは みつからの 行をはけみて 往生を ねかふか ゆへに 自力の 往生と なつく 行業 もし  おろそかならは 往生とけ かたし かの 阿弥陀仏の 本願に あらす 摂取の 光明の てらさ さる ところなり ふたつに 念仏往生と いふは 阿弥陀の 名号を となえて 往生を ねかふなり これは  かの仏の 本願に 順するか ゆへに 正定の業と なつく ひとへに 弥陀の願力に ひかるゝか ゆえ に 他力の 往生と なつく そもゝゝ 名号を となふるは なにの ゆへに かの仏の 本願に かな ふとは いふそと いふに その ことのおこりは 阿弥陀如来 いまた 仏に なりたまはさりし むか し 法蔵比丘とまふしき そのときに 仏ましゝゝき 世自在王仏と まふしき 法蔵比丘 すてに 菩提 P--1285 心を おこして 清浄の 国土を しめて 衆生を 利益せむと おほして 仏の みもとへ まいりて  まふしたまはく われ すてに 菩提心を おこして 清浄の 仏国を まふけむと おもふ ねかわくは  仏わかために ひろく 仏国を 荘厳する 無量の妙行を おしえたまへと そのときに 世自在王仏 二 百一十億の 諸仏の 浄土の 人天の 善悪 国土の 麁妙を ことゝゝく これを とき ことゝゝく  これを 現し たまひき 法蔵比丘 これを きゝ これを みて 悪を えらひて 善をとり 麁を す てゝ 妙を ねかふ たとへは 三悪道ある 国土おは これを えらひて とらす 三悪道なき 世界お は これを ねかひて すなわち とる 自余の 願も これに なすらえて こゝろを うへし この  ゆへに 二百一十億の 諸仏の 浄土の 中より すくれたることを えらひとりて 極楽世界を 建立し  たまへり たとへは やなきの えたに さくらの はなを さかせ ふたみのうらに きよみかせきを  ならへたらむか ことし これを えらふこと 一期の 按にあらす 五劫の あひた 思惟し たまえり  かくのことく 微妙厳浄の 国土を まうけむと 願して かさねて 思惟し たまはく 国土を まうく ることは 衆生を みちひかむか ためなり 国土 たえなりと いふとも 衆生 むまれ かたくは 大 悲大願の 意趣に たかひなむとす これに よりて 往生極楽の 別因を さためむとするに 一切の  行みな たやすからす 孝養父母を とらむとすれは 不孝のものは むまるへからす 読誦大乗を もち ゐむとすれは 文句を しらさるものは のそみ かたし 布施持戒を 因と さためむと すれは 慳貪 P--1286 破戒の ともからは もれなむとす 忍辱精進を 業とせむとすれは 瞋恚懈怠の たくひは すてられぬ へし 余の一切の行 みな また かくのことし これに よりて 一切の善悪の凡夫 ひとしく むまれ  ともに ねかはしめむか ために たゝ 阿弥陀の 三字の 名号を となえむを 往生極楽の 別因と  せむと 五劫の あひた ふかく このことを 思惟し おはりて まつ 第十七に 諸仏に わか名字を  称揚せられむといふ 願を おこしたまへり この願 ふかく これを こゝろふへし 名号を もて あ まねく 衆生を みちひかむと おほしめす ゆへに かつ〜 名号を ほめられむと ちかひたまへる なり しからすは 仏の御こゝろに 名誉を ねかふへからす 諸仏に ほめられて なにの要かあらむ 如来尊号甚分明 十方世界普流行 但有称名皆得往 観音勢至自来迎 と いえる このこゝろか さて つきに 第十八に 念仏往生の願を おこして 十念のものおも みちひ かむと のたまへり まことに つらゝゝ これを おもふに この願はなはた 弘深なり 名号は わつか に 三字なれは 盤特か ともからなりとも たもちやすく これを となふるに 行住座臥を えらはす  時処諸縁を きらはす 在家出家 若男若女 老少善悪の 人おも わかす なに人か これに もれむ 彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来 不簡貧窮将富貴 不簡下智与高才 不簡多聞持浄戒 不簡破戒罪根深  但使廻心多念仏 能令瓦礫変成金 このこゝろか これを 念仏往生とす P--1287 龍樹菩薩の 十住毘婆沙論の中に 仏道を 行するに 難行道 易行道あり 難行道と いふは 陸路を か ちより ゆかむか ことし 易行道と いふは 海路に 順風を えたるか ことし 難行道と いふは  五濁世に ありて 不退の くらゐに かなはむと おもふなり 易行道と いふは たゝ 仏を 信する  因縁の ゆへに 浄土に 往生するなりと いへり 難行道と いふは 聖道門なり 易行道と いふは  浄土門なり わたくしに いはく 浄土門に いりて 諸行往生を つとむる人は 海路に ふねに のり なから 順風を えす ろを おし ちからを いれて しほちを さかのほり なみまを わくるに た とふへきか つきに 念仏往生の門に つきて 専修 雑修の 二行 わかれたり 専修と いふは 極楽 を ねかふこゝろを おこし 本願を たのむ信を おこすより たゝ 念仏の 一行を つとめて また く 余行を ましえさるなり 他の経呪おも たもたす 余の仏菩薩おも 念せす たゝ 弥陀の 名号を  となえ ひとえに 弥陀一仏を 念する これを 専修と なつく 雑修と いふは 念仏を むねとすと  いゑとも また 余の行おも ならへ 他の善おも かねたるなり この ふたつの中には 専修を すく れたりとす そのゆへは すてに ひとへに 極楽を ねかふ かの土の 教主を 念せむほか なにのゆ へか 他事を ましえむ 電光朝露の いのち 芭蕉泡沫の 身 わつかに 一世の 勤修を もちて た ちまちに 五趣の 古郷を はなれむとす あに ゆるく 諸行を かねむや 諸仏菩薩の結縁は 随心供 仏の あしたを 期すへし 大小経典の 義理は 百法明門の ゆふへを まつへし 一土を ねかひ 一 P--1288 仏を 念するほかは その用 あるへからすと いふなり 念仏の門に いりなから なほ 余行を かね たる人は そのこゝろを たつぬるに おのゝゝ 本業を 執して すてかたく おもふなり あるいは  一乗を たもち 三蜜を 行する人 おのゝゝ その行を 廻向して浄土を ねかはむと おもふ こゝろ を あらためす 念仏に ならへて これを つとむるに なにの とかゝあらむと おもふなり たゝち に 本願に 順せる 易行の念仏を つとめすして なほ 本願に えらはれし 諸行を ならへむことの  よしなきなり これによりて 善導和尚の のたまはく 専を すてゝ 雑に おもむくものは 千の中に  一人も むまれす もし 専修のものは 百に 百なから むまれ 千に 千なから むまると いへり 極楽無為涅槃界 随縁雑善恐難生 故使如来選要法 教念弥陀専復専と いへり 随縁の雑善と きらえる は 本業を 執する こゝろなり たとへは みやつかえを せむに 主君に ちかつき これを たのみ て ひとすちに 忠節を つくすへきに まさしき 主君に したしみなから かねて また うとく と おき人に こゝろさしを つくして この人 主君に あひて よきさまに いはむことを もとめむか  ことし たゝちに つかへたらむと 勝劣 あらはに しりぬへし 二心あると 一心なると 天地 はる かに ことなるへし これに つきて 人 うたかひを なさて たとへは 人ありて 念仏の行を たて ゝ 毎日に 一万&M010174;を となえて そのほかは ひめもすに あそひくらし よもすから ねふり おらむと  また おなしく 一万を まふして そのゝち 経おも よみ 余仏おも 念せむと いつれか すくれた P--1289 るへき 法華に 即往安楽の 文あり これを よまむに あそひ たはふれに おなしからむや 薬師に は 八菩薩の 引導あり これを 念せむは むなしく ねふらむに にるへからす かれを 専修と ほ め これを 雑修と きらはむこと いまた そのこゝろを えすと いま また これを 按するに な ほ 専修を すくれたりとす そのゆへは もとより 濁世の凡夫なり ことに ふれて さわり おほし  弥陀 これを かゝみて 易行の道を おしえたまへり ひめもすに あそひ たはふるゝは 散乱増の  ものなり よもすから ねふるは 睡眠増の ものなり これ みな 煩悩の 所為なり たちかたく 伏 しかたし あそひやまは 念仏を となへ ねふり さめは 本願を おもひ いつへし 専修の行に そ むかす 一万&M010174;を となえて そののちに 他経 他仏を 持念せむは うちきく ところ たくみなれと も 念仏たれか 一万&M010174;に かきれと さためし 精進の機 ならは ひめもすに となふへし 念珠を  とらは 弥陀の名号を となふへし 本尊に むかはゝ 弥陀の 形像に むかふへし たゝちに 弥陀の  来迎を まつへし なにの ゆへか 八菩薩の 示路を またむ もはら 本願の 引導をたのむへし わ つらはしく 一乗の功能を かるへからす 行者の根性に 上中下あり 上根のものは よもすから ひく らし 念仏を まふすへし なにの いとまにか 余仏を 念せむ ふかく これを おもふへし みたり かはしく うたかふへからす つきに 念仏を まふさむには 三心を 具すへし たゝ 名号を となふ ることは たれの人か 一念十念の功を そなえさる しかは あれとも 往生するものは きわめて ま P--1290 れなり これ すなわち 三心を 具せさるに よりてなり 観無量寿経に いはく 具三心者 必生彼国 と いへり 善導の 釈にいはく 具此三心 必得往生也 若少一心 即不得生と いへり 三心の中に  一心かけぬれは むまるゝことを えすといふ よの中に 弥陀の 名号を となふる人 おほけれとも  往生する人の かたきは この三心を 具せさる ゆへなりと こゝろうへし その三心と いふは ひと つには 至誠心 これ すなわち 真実の こゝろなり おほよそ 仏道に いるには まつ まことの  こゝろを おこすへし そのこゝろ まことならすは その みち すゝみ かたし 阿弥陀仏の むかし  菩薩の行を たて 浄土を まうけたまひしも ひとへに まことの こゝろを おこしたまひき これに  よりて かのくにに むまれむと おもはむも また まことの こゝろを おこすへし その 真実心と  いふは 不真実の こゝろを すて 真実の こゝろを あらわすへし まことに ふかく 浄土を ねか ふこゝろなきを 人にあふては ふかく ねかふよしを いひ 内心には ふかく 今生の 名利に 著し  なから 外相には よをいとふ よしを もてなし ほかには 善心あり たうときよしを あらわして  うちには 不善の こゝろもあり 放逸の こゝろも あるなり これを 虚仮の こゝろと なつけて  真実心に たかえる相とす これを ひるかへして 真実心おは こゝろえつへし このこゝろを あしく  こゝろへたる人は よろつのこと ありの ままならすは 虚仮に なりなむすとて みにとりて はゝか るへく はちかましきことおも 人に あらはし しらせて かへりて 放逸無慙の とかを まねかむと P--1291 す いま 真実心と いふは 浄土を もとめ 穢土を いとひ 仏の願を 信すること 真実の こゝろ にて あるへしとなり かならすしも はちを あらはにし とかを しめせとには あらす ことにより  おりに したかひて ふかく 斟酌すへし 善導の釈に いはく 不得外現 賢善精進之相 内懐虚 仮と いへり ふたつに 深心と いふは 信心なり まつ 信心の相を しるへし 信心と いふは ふか く 人のことはを たのみて うたかはさるなり たとへは わかために いかにも はらくろかるましく  ふかく たのみたる人の まのあたり よくゝゝ みたらむ ところを おしえむに その ところには  やまあり かしこには かわありと いひたらむを ふかく たのみて そのことはを 信してむのち ま た 人ありて それは ひかことなり やまなし かわなしと いふとも いかにも そらこと すましき 人の いひてしことなれは のちに 百千人の いはむことおは もちゐす もときゝしことを ふかく  たのむ これを 信心と いふなり いま 釈迦の所説を 信し 弥陀の 誓願を 信して ふたこゝろな きこと また かくのことく なるへし いま この 信心に つきて ふたつあり ひとつには わかみは  罪悪生死の凡夫 曠劫より このかた つねに しつみ つねに 流転して 出離の 縁 あることなしと  信す ふたつには 決定して ふかく 阿弥陀仏の 四十八願 衆生を 摂取したまふことを うたかはさ れは かの願力に のりて さためて 往生することを うと 信するなり よの人 つねに いはく 仏の 願を 信せさるには あらされとも わかみの ほとを はからふに 罪障の つもれることは おほく  P--1292 善心の おこることは すくなし こゝろ つねに 散乱して 一心を うること かたし 身とこしなへ に 懈怠にして 精進なることなし 仏の願 ふかしと いふとも いかてか このみを むかへたまはむ と このおもひ まことに かしこきに にたり 驕慢を おこさす 高貢のこゝろなし しかはあれとも  仏の不思議力を うたかふ とかあり 仏いかはかりの ちから ましますと しりてか 罪悪の みなれ は すくわれ かたしと おもふへき 五逆の罪人すら なほ 十念のゆへに ふかく 刹那の あひたに  往生を とく いはむや つみ五逆に いたらす 功十念に すきたらむおや つみふかくは いよゝゝ  極楽を ねかふへし 不簡破戒罪根深と いへり 善すくなくは ますゝゝ 弥陀を 念すへし 三念五念 仏来迎と のへたり むなしく みを 卑下し こゝろを 怯弱にして 仏智 不思議を うたかふこと  なかれ たとへは 人ありて たかき きしのしもに ありて のほること あたはさらむに ちからつよ き人 きしのうへに ありて つなを おろして このつなに とりつかせて われ きしのうえに ひき  のほせむと いはむに ひく 人の ちからを うたかひ つなの よはからむことを あやふみて てを  おさめて これを とらすは さらに きしの うえに のほること うへからす ひとへに そのことは に したかふて たなこゝろを のへて これを とらむには すなわち のほることを うへし 仏力を  うたかひ 願力を たのまさる人は 菩提の きしに のほること かたし たゝ 信心のてを のへて  誓願の つなを とるへし 仏力無窮なり 罪障深重のみを おもしとせす 仏智無辺なり 散乱放逸の  P--1293 ものおも すつることなし 信心を 要とす そのほかおは かへりみさるなり 信心決定しぬれは 三心 おのつから そなわる 本願を 信すること まことなれは 虚仮のこゝろなし 浄土 まつこと うたか ひ なけれは 廻向のおもひあり このゆへに 三心ことなるに にたれとも みな信心に そなわれるな り みつには 廻向発願心と いふは なのなかに その義 きこえたり くわしく これを のふへから す 過現三業の 善根を めくらして 極楽に むまれむと 願するなり つきに 本願の文に いはく  乃至十念 若不生者 不取正覚と いへり いま この十念と いふに つきて 人うたかひを なして いはく 法華の 一念随喜と いふは ふかく 非権非実の理に 達するなり いま 十念と いへるも  なにのゆへか 十返の 名号と こゝろえむと この うたかひを 釈せは 観無量寿経の 下品下生の  人の相を とくに いはく 五逆十悪を つくり もろゝゝの 不善を 具せるもの 臨終の ときに い たりて はしめて 善知識の すゝめに よりて わつかに 十返の名号を となえて すなわち 浄土に  むまるといへり これさらに しつかに 観し ふかく 念するに あらす たゝ くちに 名号を 称す るなり 汝若不能念と いへり これ ふかく おもはさる むねを あらはすなり 応称無量寿仏と と けり たゝ あさく 仏号を となふへしと すゝむるなり 具足十念 称南無無量寿仏 称仏名故 於念 念中 除八十億劫 生死之罪と いへり 十念と いえるは たゝ 称名の 十返なり 本願の 文これに  なすらえて しりぬへし 善導和尚は ふかく このむねを さとりて 本願の文を のへたまふに 若我 P--1294 成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚と いへり 十声と いえるは 口称の義を  あらはさむとなり 一 つきに また 人のいはく 臨終の念仏は 功徳はなはた ふかし 十念に 五逆を 滅するは 臨終の念仏 の ちからなり 尋常の念仏は このちから ありかたしと いへり これを 按するに 臨終の念仏は 功徳ことに すくれたり たゝし そのこゝろを うへし もし 人い のち おわらむと するときは 百苦 みに あつまり 正念みたれ やすし かのとき 仏を 念せむこ と なにのゆへか すくれたる 功徳あるへきや これを おもふに やまひ おもく いのち せまりて  みに あやふみ あるときには 信心 おのつから おこり やすきなり まのあたり よの人の ならひ を みるに そのみ おたしきときは 医師おも 陰陽師おも 信すること なけれとも やまひ おもく なりぬれは これを信して この 治方をせは やまひ いえなむと いえは まことに いえなむするや うに おもひて くちに にかき あちわいおも なめ みに いたはしき 療治おも くわう もし こ のまつり したらは いのちは のひなむと いえは たからおも おします ちからを つくして これ を まつり これを いのる これ すなわち いのちを おしむ こゝろ ふかきに よりて これを  のへむと いえは ふかく 信する こゝろあり 臨終の 念仏 これに なすらえて こゝろえつへし  いのち 一刹那に せまりて 存せむこと あるへからすと おもふには 後生の くるしみ たちまちに  P--1295 あらわれ あるいは 火車相現し あるいは 鬼率まなこに さいきる いかにしてか この くるしみを  まぬかれ おそれを はなれむと おもふに 善知識の おしえに よりて 十念の 往生を きくに 深 重の 信心 たちまちに おこり これを うたかふ こゝろなきなり これ すなわち くるしみを い とふこゝろ ふかく たのしみを ねかふこゝろ &M010305;なるか ゆへに 極楽に 往生すへしと きくに 信 心たちまちに 発するなり いのち のふへしと いふを きゝて 医師 陰陽師を 信するか ことし  もし このこゝろならは 最後の 刹那に いたらすとも 信心決定しなは 一称一念の功徳 みな 臨終 の念仏に ひとしかるへし 二 また つきに よの中の人のいはく たとひ 弥陀の願力を たのみて 極楽に 往生せむと おもへとも  先世の罪業 しりかたし いかてか たやすく むまるへきや 業障に しなゝゝあり 順後業と いふは  かならす その業を つくりたる 生ならねとも 後後生にも 果報を ひくなり されは 今生に 人界 の 生を うけたりといふとも 悪道の業を みに そなえたらむことを しらす かの業か つよくして  悪趣の生を ひかは 浄土に むまるゝこと かたからむかと この義 まことに しかるへしと いふとも 疑網 たちかたくして みつから 妄見を おこすなり お ほよそ 業は はかりの ことし おもきもの まつ ひく もし わかみに そなえたらむ 悪趣の業  ちからつよくは 人界の生を うけすして まつ 悪道に おつへきなり すてに 人界の生を うけたる P--1296 にて しりぬ たとひ 悪趣の業を みに そなえたりとも その業は 人界の生を うけし 五戒よりは  ちから よわしと いふことを もし しからは 五戒を たにも なほ さえす いはむや 十念の功徳 をや 五戒は 有漏の業なり 念仏は 無漏の功徳なり 五戒は 仏の願の たすけなし 念仏は 弥陀の 本願の みちひく ところなり 念仏の功徳は なほし 十善にも すくれ すへて 三界の 一切の 善 根にも まされり いはむや 五戒の 少善おや 五戒を たにも さえさる 悪業なり 往生の さわり と なること あるへからす 三 つきに また人のいはく 五逆の罪人 十念に よりて 往生すといふは 宿善に よるなり われら 宿 善を そなえたらむこと かたし いかてか 往生することを えむやと これ また 痴闇に まとえる ゆへに いたつらに このうたかひを なす そのゆへは 宿善の あつ きものは 今生にも 善根を修し 悪業を おそる 宿善 すくなきものは 今生に 悪業を このみ 善 根を つくらす 宿業の善悪は 今生の ありさまにて あきらかに しりぬへし しかるに 善心なし  はかりしりぬ 宿善すくなしと いふことを われら 罪業おもしと いふとも 五逆おは つくらす 善 根すくなしと いゑとも ふかく 本願を 信せり 逆者の 十念すら 宿善に よるなり いはむや 尽 形の 称念 むしろ 宿善に よらさらむや なにの ゆへにか 逆者の 十念おは 宿善と おもひ わ れらか 一生の称念おは 宿善あさしと おもふへきや 小智は 菩提の さまたけと いえる まことに  P--1297 この たくひか 四 つきに 念仏を 信する人の いはく 往生浄土の みちは 信心を さきとす 信心決定しぬるには あ なかちに 称念を 要とせす 経に すてに 乃至一念と とけり このゆへに 一念にて たれりとす  &M010174;数を かさねむとするは かへりて 仏の願を 信せさるなり 念仏を 信せさる人とて おほきに あ さけり ふかく そしると まつ 専修念仏と いふて もろゝゝの 大乗の修行を すてゝ つきに 一念の義を たてゝ みつから  念仏の行を やめつ まことに これ 魔界 たよりを えて 末世の 衆生を たふろかすなり この説  ともに 得失あり 往生の業 一念に たれりと いふは その理 まことに しかるへしと いふとも  &M010174;数を かさぬるは 不信なりと いふ すこふる そのことは すきたりとす 一念を すくなしと お もひて &M010174;数を かさねすは 往生し かたしと おもはゝ まことに 不信なりと いふへし 往生の業 は 一念に たれりと いゑとも いたつらに あかし いたつらに くらすに いよゝゝ 功を かさね むこと 要に あらすやと おもふて これを となえは ひめもすに となへ よもすから となふとも  いよゝゝ 功徳を そへ ますゝゝ 業因決定すへし 善導和尚は ちからの つきさるほとは つねに  称念すと いへり これを 不信の 人とやはせむ ひとへに これを あさけるも また しかるへから す 一念と いえるは すてに 経の文なり これを 信せすは 仏語を 信せさるなり このゆへに 一 P--1298 念決定しぬと 信して しかも 一生 おこたりなく まふすへきなり これ 正義と すへし 念仏の要 義 おほしと いゑとも 略して のふること かくのことし これを みむ人 さためて あさけりを なさむか しかれとも 信謗ともに 因として みな まさに 浄 土に むまるへし 今生 ゆめのうちの ちきりを しるへとして 来世 さとりの まへの 縁を むす はむとなり われ おくれは 人に みちひかれ われ さきたゝは 人を みちひかむ 生生に 善友と  なりて たかひに 仏道を 修せしめ 世世に 知識として ともに 迷執を たゝむ   本師釈迦尊 悲母弥陀仏   左辺観世音 右辺大勢至   清浄大海衆 法界三宝海   証明一心念 哀愍共聴許     [草本云]     [承久三歳 仲秋中旬 第四日 安居院法印聖覚作]     [寛喜二歳 仲夏下旬 第五日 以彼草本真筆愚禿釈親鸞書写之]